こういう京都の感興を
静かに綴れる人を、
ぼくは何十年も待っていた。
(帯文:松岡正剛)
栞解説:鈴木比佐雄 |
四六判/256頁/ソフトカバー |
定価:1,542円(税込) |
発売:2012年1月20日
【目次】
Ⅰ 木精の書翰
静かな店
百葉箱と消息と
木精の居住区
木精の散歩
川べりの病棟から
壜の中の花梨
狐の杜
病む日の記憶
天使の来歴
路地の木精
聖マリア幼稚園のアルバム
雪の小玉
幼年の庭
消えざる幻燈
負のヒーローたち
剥製の棲む家
美しい一日
Ⅱ 猫の往生
猫の往生
盂蘭盆の頃
七面宮まで
さらば、同志社中学校
日高敏隆さんの思い出
伊藤清博士の庭で
実相寺昭雄監督を偲ぶ
片影になったら
蠟梅の咲く頃に
「りょうい」という喫茶室で
Ⅲ アルトライアーの響き
アルトライアーの響き
炎暑の夏に
小川未明のスピリチュアリティー
幸福な魂
特別な場所
富士に願うこと
久高島の神人
藪地島の島人
Ⅳ 京都 桜の縁し
桜の縁し
桜の消息
桜便り 追伸
桜日和
夢みるアパート
銀月アパートの光
あとがきにかえて
京都というラビリンスで
撮影データ
初出一覧
略 歴
京都というラビリンスで ―あとがきにかえて
京都に生まれ育ち、半世紀余りが経った。本書に収めた写真の大半が、一九九〇年前後の日本のバブル経済の時代の熱波に攫われるようにして、京都から消えて行った建物たちである。写真を撮り終えた翌年には、それは跡形もなく消え失せてしまった、ということも決して珍しくはなかった。なかには「イノダ」本店の旧館のように火事で焼失してしまったものもある。数年後、映画のセットのように復元されたものの、何かが違っていた。空気感ともいえるだろうし、建物自体のエネルギーと言ってもよい。
数十本の陰画フィルムを前にして私は想う。陰画の中にのみその姿をとどめて、地上から永久に失われてしまったこれらの建物もまた、死者たちがそうであるように、私たちの心の中にいつまでも静かに生きつづけようとしているのではないだろうか。目には見えず、手に触れることはできなくとも、その幽かな囁きに耳を澄ますことはできよう。
写真機を下げて歩きまわっていたあの頃、行き過ぎようとすると、ふと、時代から取り残されたような路地の奥の古い建物のほうから呼びとめられるようにして、シャッターを切るということも一度や二度ではなかった。不思議なことである。その不思議が日常的に起こりうることが、京都の一番素敵なところなのかもしれない。
京都という、歴史的な時間が幾層にも積み重なっているラビリンスで、これからも私は人と出逢い、人生と出逢い、書きつづけてゆくばかりである。