多田聡詩集
『岡山発津山行き最終バス』
バスは夜の入口をひたはしり
予定より少し遅れただけで津山に着いた
心の断層を軋ませてブレーキがかかり
何事もなかったかのように停車した
(詩「岡山発津山行き最終バス」より)
栞解説:鈴木比佐雄 |
A5判/160頁/上製本 |
定価:2,160円(税込) |
発売:2010年11月25日
【目次】
Ⅰ章 岡山発津山行き最終バス
岡山発津山行き最終バス
無 言
遠い声
なっとく
二面島
いま 瀬戸内で
同窓会
路上で
小さな街で
蛙声人語
交通安全
にごり酒
アワーブルースカイ
Ⅱ章 その時 ふと仰いだ空は……
その時 ふと仰いだ空は……
見 る
しあわせなブロイラー
二つの春
憲法集会にむかう道
ジョージ・ワシントン号の教訓
おお 愛国心
あの子の暗い……
ミゲル・リティンの冒険
つばめ
理性が目覚めるまでの三分間
無 題
Ⅲ章 秋の挨拶
秋の挨拶
坪井さんの夕焼
逃げる
あゝ定年
ペンネーム
エフェドリンの秋
部 屋
運動公園
灌 水
道
Ⅳ章 詩論
アリストテレスのメタフォラをめぐって
ミスター シーソー氏の所感
あとがき
略歴
【詩篇紹介】
岡山発津山行き最終バス
その夕ぐれ
急行バスは快調にはしり
まばらに座った乗客のひとりであるぼくは
岡山発津山行きの最終便にゆられていた
ふいに身形のみすぼらしい老婆が
そわそわしはじめた
〝ここで降ろしてくださらんか
降りるつもりだった停留所でとまらんバスとは知らなんだ〟
折り返しのバスはとっくに出たあとだった
次の停留所まで行ってしまうと
何キロも夜道を歩かなければならない
運転手ははじめ規則を盾に拒否していたが
手をあわせておがみはじめた老婆に辟易して
しぶしぶバスをとめたのだった
ぼくは規則に目をつぶった
若い運転手の背中に拍手を送った
ところがすぐにトラブルがおきた
老婆が料金箱に金を入れると
運転手は二百円足りないというのだった
彼女はちゃんと入れたといい
さっさとバスを降りてしまった
運転手がバスをはなれて追いかける
十メートルも追いかけて
すぐにいさかいがはじまった
五分たっても十分たっても決着はつかない
ぼくはいらいらして待っていた
運行の責任を忘れ心の平静を失った運転手が
ふたたび運転をするバスに危険はないのか
もう十五分もほうっておかれた乗客の迷惑をどうしてくれる
運転手はちゃんと見ていたのだろうか
あっというまに流れた金のゆくえを
老婆の身形に偏見をもっていたのではなかろうか
それとも彼女が間違えたのか
あるいは彼女の心に一瞬魔がさしたということだろうか
横柄な運転手の態度や
かつて見かけた切符販売機や改札口での
お年寄りの困惑の様子を思いだして
ぼくは老婆に同情していた
ぼくはバスを降り
水かけ論では埒があかない
二百円はぼくが払うから
早くバスをだして欲しいと
恥ずかしい言葉を口にしていた
〝お客さんには迷惑はかけられません〟
もっともな答えがかえってきて
ぼくはなにもいえずにひきさがったが
きまずい思いがひっかかる
ぼくは納得したわけではない
老婆も納得したわけではない
運転手も納得したわけではない
それでも彼女が〝いけず!〟と叫んで二百円を投げ入れると
バスは不機嫌のドアをパタンと閉じて動きだした
すると
終始無言だった他の乗客が口々に言いはじめたのだ
〝運転手さん今夜は車庫入れがおくれて気の毒だね〟
〝料金をごまかすなんてけしからん〟
そうか他の乗客は
運転手に味方していたのか
トラブルを強圧的に処理することを望んでいたのか
それにしても真相は分からないままだった
料金箱をひっくりかえし
整理券とつきあわせて確かめるまで
にわかに饒舌になった人たちとはうらはらに
ぼくはひとり沈黙の底に沈んでいく
心の闇に光る憎しみの目にたじろぎ
みずからの独善を恥じながら
窓外に百円玉のような
視線誘導標のながれる国道53号線
バスは夜の入口をひたはしり
予定より少し遅れただけで津山に着いた
心の断層を軋ませてブレーキがかかり
何事もなかったかのように停車した