<詩作品>
新春の筑波山
下妻―筑波の馬鹿三里、という言葉が残っている。 たしかに。 若い頃、筑西市(旧下館)で仕事を終えて土浦まで帰ってくるとき、筑波山がすぐそこに見えていながら、なかなか辿り着かないもどかしい想いを、いつもしたものだった……
そんなことを想い出しながら、お前をいまこうして眺めている。
ほんとに久しぶりだね。
土浦から見て左側(西)は男体山、右側(東)が女体山。男体山は山頂が尖っているので高いように見えるが、実際はそうではなく、筑波山はカカア殿下なんです。
必死に仕事を追い掛け、仕事に追い立てられている時期は、遠くからでも近くを車で走り抜けたときでも、お前に眼を向けることはなかった。お前を捉えていても、あらためて眺めたりはしなかった。
いま、こうして、お前を眺めている…… お前は幼馴染のように、全然久し振りだという感じがしないね。お前を眺めていると、話しかけたくなってくるんだ。お前と話がしたくなってくるんだ。私の問いかけに、すぐに応じてくれるんだ…… 返事をすぐにしてくれるんだ……
この年になるとね、私も沢山の人と会ってきたよ。男も女も多くの人の顔をみてきた。お前も空の上から沢山の情景や風景を見てきたことだろう。
男の顔には、いろいろあるよね。上から押し潰されてぺちゃんこになった顔。上から下から右から左から悩みに攻め込まれて、ぐちゃぐちゃぐにゃぐにゃになった顔、ほんとにどうしようもない顔…… 女に悩み抜いた顔、仕事に行き詰まった顔、人間として生活に疲れた顔……
女の顔にも、男に負けないくらいにいろいろあるよね。不幸そうな顔、幸せでない顔、生活に埋もれた顔、程よく疲れた顔、旦那で悩んでいて、子供にも悩まされている顔、病気で苦悩している顔……
朝のこない夜はない。出口のないトンネルはない。冬は必ず春となる。どこかで聴いたことのあるこれらの言葉は、世界の宝であり庶民の長年の知恵が産んだものだ。負けたらあかんで、あきらめてはいけない、なによりも後ろ指を指されるような生き方をするんじゃないよ! ネバーギブアップだ……
*1 筑波山がすぐ眼の前に手に取るように見えながら、中々辿り着かない。心で感じたより遠いということです。
*2 筑波山=男体山は八七一m、女体山は八七七m。女体山が六m高い。
徳之島Ⅰ
海に浮かんだ故郷の島
白波が打ち寄せている
昔の佇まいの我が家
築後六十年を経て旧の場所に建っている
道路と屋敷の間には
白いセメントに玉石をちりばめられた塀が
立ち上がって
ガジュマルと桑の実が稔る長い生け垣が
続いている
桑の葉は蚕に喰わせる
紫の実は甘くておいしい
学校から帰ると
弟とふたり我先にと桑の木によじ登り
唇が紫色に染まるまで桑の実を食べた
いま想えば
我々の勢いにおそれをなして
ハブも毒虫も総ての害をもたらすものが
遠くに逃げ去っていき
近づいてこなかったのだ……
その昔……
生け垣の隙間から
今は大商家に納まっている年上の乙女は
瘠せた頰にエクボをつくり
茶目っ気たっぷり少年にあかんべをして
走り去っていった……
春の七草が食卓をかざる
とたんに野も里も光彩を増す
万だの花が咲きはじめる
道ばたの百合
深紅のハイビスカス
草叢に咲き零れるすみれ
ああ なんという眺めだろう
外海と内海を区切る
めぐる巨大な珊瑚礁に
力強く打ち寄せる波は
執拗に白い花を咲かせる
砂浜に寄せては反す小波は
渚に宝貝や桜貝
巻き貝を運んできて
浜の砂は銀色にかがやく
繰り返す波は 飽くことを知らぬ
努力の象徴のように思える
この波の作業は
祖父母や父が健在であった時代より
なおずっと前から昼夜休みなく
永遠に続いているのだろうか
黒潮の磯の香をのせて
吹いてくる潮風は
過ぎし日の少年のはかない想い出を
否応なく胸の底に蘇らせる……
遠い昔から砂浜の一隅に
不思議な泉水が湧き出ていた
その泉水を我々は浜泉と呼んでいた
満潮時に海面に隠れてしまう浜泉は
いまも絶えることなく
清水を湧き立たせている
海からあがった私たちは
満潮で浜泉が潮水になる前に
大人も子供も先を急いで身体を洗い服を着て
夕暮れの海を後にした
面倒見のいい文一兄さんは
ベソをかいているよその幼い子供の身体を
浜泉の水で洗ってやり 服を着せてあげる
少し年上の私は自分で服を着ながら
じいっとそれを見つめている
満潮で押し寄せる早波で浜泉はもう塩辛い
喉の渇いた私は
その塩辛い水を 小さい手で掬い上げて飲んだ
浜泉は昔のままだ
だがどうしたことだ
本当にままごとのようなスペースしかない
しかし島に住む我々には
充分に用が足りていた
強い陽射しを避けて
男女手をとり
腰掛けて遊んだアダンの林は
跡形もなく消えている
テトラポットの防波堤になり
横をいまふうの湾岸道路が走っている
早熟だった私たちの遊び場はもうない
なんということだろう
なんという永い間
私はふるさとに帰ってこなかったのか
ふるさとを忘れていたのか
そんなにも多忙に 生きていたのか
三十年という年月はながい
ふるさとの自然は
肝心なところが消えてしまった
鉛色のセメントのかたまりが目立つばかりだ
アダンの実は真赤に熟れていた……
アダンの林に生息していた生物たちは
何処に行ってしまったのだろう
誰もふるさとは選べない
しかし ふるさとは我が子の帰宅を待つ母のように
薄情な私をなにもいわないで迎えてくれた
我がふるさとは徳之島
ただひとつ
紅い蘇鉄の実が熟れる
ハイビスカスの深紅もえる
白百合咲き匂う
前が東シナ海 後ろが太平洋
ふたつの大海に浮かぶ海の島
永遠に輝いてほしい!
永遠に!